大阪地方裁判所 昭和18年(ワ)200号 判決
原告 西村禎一郎
被告 森本利吉
一、主 文
被告は原告に対し金二千七百五十三円四十銭及び之に対する昭和十八年二月二十六日から支拂済に至る迄年五分の割合による金員を支拂わなければならない。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用は二分し、その一を原告、その余を被告の負担とする。本判決は原告勝訴の部分に限り原告に於て金九百円の担保を供するときは仮に之を執行することが出來る。
二、事 実
原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金五千五百六円八十銭及び之に対する昭和十八年二月二十六日から支拂済に至る迄年五分の割合による金員を支拂わねばならぬ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに担保提供による仮執行の宣言を求め、其の請求の原因として、被告及び内山徳三郎はスレート工業に関する実用新案権の実施をするのに俗に腐岩と称する礦物を絶対に必要としていたのであるが、和歌山縣伊都郡山田村大字吉原千九番地ノ二畑一畝二十七歩外一筆の土地の下に推定埋藏量千四百四十噸時價八万六千四百円相当の腐岩が埋藏されていることが判り、之を採掘し製粉販賣して收益金五万五千六十八円を得ることが出來る見込みで右両名共同して右土地を昭和十四年五月代金五百円にて訴外辻正儀から買受けた。ところが右土地はもと訴外美濃喜右衞門所有のものであつたのを、同年四月十八日右訴外辻正儀が同人から代金五十三円六十銭にて之を買受け、未だ所有権の移轉登記を受けない内に、右訴外美濃喜右衞門は該土地の下に前示礦物資源の埋藏せられあるを知るや之を更に第三者に高價に賣却し所有権の移轉登記を履行してしまつたので、右辻正儀は被告等両名に対して右土地賣買契約に基いて所有権を移轉することが出來なくなつた。そこで被告等両名は右辻正儀の債務不履行によりて得べかりし前記收益を獲得することが出來なくなつて右同額の損害を被つたので、右辻に対し該損害の賠償を請求すべき筈のところ、辻は資力なく、却て美濃喜右衞門は十数万円の資産があるので、被告等両名及び辻は互いに協議の上、右辻名義を以て美濃喜右衞門に賠償請求を爲しその賠償金を得た時は被告等両名の所得とすること、但し訴訟費用は全部被告等の負担とし、收得金中幾何かを辻に分與することを約した。そこで被告及び内山徳三郎は昭和十四年十月八日右美濃に対する訴訟を原告に委任したので同年十二月二十日原告は被告等両名と株式会社日興製作所にて会合し、諸般の檢討をして右訴訟を受任したが、其の際被告等両名は著手金は免除され度い。其の代り報酬金は「ドツサリ」連帶にて支拂う旨申出を爲し、原告は其の申出を承諾した。翌十五年一月十二日被告等両名の代理人訴外森本由松は原告に対して本件訴訟費用として金百五十円を交付して來たので、原告は被告等両名と協議し、其の請求金額五万五千六十八円の内、訴訟費用負担の関係で内金一万六千円也を訴額とし、同年一月下旬原告は表面上辻正儀の代理人として美濃喜右衞門を相手方とし、大阪地方裁判所に損害賠償請求訴訟(昭和十五年(ワ)第二三四号)を提起した。右訴訟に於て相手方は弁護士中務平吉を代理人として應訴し係爭中であつたところ被告等両名は同年十二月二十六日原告に無断で相手方と任意訴訟外の和解を爲し、辻正儀に金三百円程度を贈つて右事件終結に同意させ、自らは五万数千円を利得しながら、突如翌十六年二月頃右事件は示談した旨原告に通告して來た。それで原告は該訴訟に於ける相手方代理人と協議して右事件の取下をした。然るに被告及び内山は前記のように連帶して同事件の報酬金を支拂う特約をしておつたのに拘らず今日に至るも之を履行しない。大阪弁護士会々則第百七條及び報酬規定第四條に依ると事件受任後委任者に於て任意事件を終了せしめた時は之を勝訴と同視し、報酬として請求額の百分の十を請求することが出來るとの規定があり、其の請求額とは訴訟代理人に委任した事件全体の價額を基礎とするものであるから、本件に於て原告は報酬として被告に対し金五万五千六十八円の一割に相当する金五千五百六円八十銭及び之に対する本訴状送達の翌日である昭和十八年二月二十六日から完済まで年五分の割合による損害金の支拂を求めると述べた。<立証省略>
被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、原告主張の如き訴訟に原告が辻正儀の訴訟代理人となつて訴訟を提起したこと、並びに該訴訟が取下によつて終了した事は認めるが其の余の原告主張事実は全部爭う。即ち被告は原告主張の土地を買受けた事実無く、又前記訴訟を被告に於て原告に依頼したことなく、勿論報酬契約などしたことなく、原告主張の如き弁護士会々則及び報酬規定により原告主張の如き報酬金を請求し得る慣習があることは知らないと述べた。<立証省略>
三、理 由
訴外辻正儀が原告を訴訟代理人として、訴外美濃喜右衞門に対し金五万五千六十八円の損害金の内金一万六千円につき賠償請求訴訟(当廳昭和十五年(ワ)第二三四号事件)を提起したこと、右訴訟は取下により終了したことは当事者間に爭なく、原告本人訊問の結果により眞正に成立したと認められる甲第一号証ノ一乃至四、同第二号証ノ一乃至三、証人辻正儀、吉野寅次郎の証言並びに原告本人訊問の結果を綜合すると、昭和十四年四月十八日辻正儀は訴外美濃喜右衞門から同訴外人所有に係る和歌山縣伊都郡山田村大字吉原千九番地ノ二畑一畝二十七歩外一筆の土地の中十坪を買受け、同地下に埋藏のスレート原料俗に腐岩という礦物を試驗的に採掘の結果有望であれば右土地全部を買受ける旨賣買の予約をしたところ、調査の結果腐岩は多量に埋藏されていて有望であることが判つたので、右予約に基いて前記土地全部の賣買契約締結を申込んだ。然るに美濃喜右衞門は右土地を既に他に賣渡し登記も済ましたので辻正儀は同人から右土地の引渡を受けることが出來なくなつた。而してこれよりさき被告及び内山徳三郎は辻正儀から右土地を共同して買受け、腐岩の採掘販賣を企図していたが叙上のようなわけで辻正儀が履行しない爲右事業に著手することが出來ず、之がため得べかりし收益の喪失に因る損害を被むるに至つた。ところが被告及び内山両名は辻に対して右損害の賠償を求めても、同人に資力がなく目的が達せられないから、むしろ資力のある美濃喜右衞門に対し賣買契約不履行に因る損害賠償の訴を辻名義で提起し、被告及び内山に於て訴訟費用等該訴訟上一切の出資を負担し、勝訴した場合に、辻正儀と利得を按分しようとの話合が右関係者間で出來た。そこで被告は弁護士である原告に著手金百五十円を交付し右訴訟を委任したので、原告は叙上の事実を請求原因として、昭和十五年二月十六日訴外美濃喜右衞門に対し損害金五万五千六十八円の内金一万六千円の請求訴訟を当廳に提起したこと、右訴訟を原告に委任するに当り被告及び内山は成功報酬を相当額支拂う旨約したこと、そして右訴訟係属中原告は受任事務処理のため多大の盡力をしていたところ、同年末頃被告は原告に無断で裁判外の和解をしたので同事件全部は終了したことが夫々認められる。右認定に反する被告本人訊問の結果は措信し難く他に之を覆すに足る証拠はない。尤も証人辻正儀、吉野寅次郎の証言によると右裁判外の和解が成立した日その場所に原告もいたことが伺われるが、然し事前に被告から原告に右和解につき相談をしたことは毫も認められないのみならず、却て証人吉田多三郎及び被告本人訊問の結果に徴するに吉田多三郎の仲裁で急に当事者間に和解が成立したが、当時偶々他の用件でその場所に來合せていた原告に右和解成立の事前報告がなされたことを認め得るが、未だ原告の同意があつたことを認めることは出來ないから、原告が右和解の場所に居たことは前段認定を左右する資料となすに足りない。そこで委任者が代理人に無断で和解を爲し、之がため訴訟が取下となり終了したときでも、代理人は報酬請求権があるかを考えてみるのに、鑑定人吉永正好の鑑定の結果によると、委任者の勝手の和解は委任者が故意に代理人の受託事務遂行を不能ならしめたのであるから受託事務は目的を達したもの、即ち成功と看做し得る。從つてこの場合受任者は委任者に対し、報酬計算の基礎額の一割に該る成功報酬を請求することができる慣習が存在すること、一部提訴の場合でも委託事件全部につき和解成立したときは報酬額計算の基礎額はその委託事件全部の價額であることが認められる。そうすると、既に認定した如く本件においては被告と内山は原告に訴訟を委任するに際し相当の成功報酬を支拂うことを約したのであるが、右は尠くとも被告等が前示慣習に依るべき意思を表示したものと認めるのが相当であり、且原告は受任事件の一部につき提訴したことは原告の主張自体に徴し明かであるが、同事件全部につき和解成立したことは叙上認定した通りであるから、原告は同事件全部の價額五万五千六十八円の一割に当る金五千五百六円八十銭につき請求権があるということが出來る。然しながら右訴訟を原告に委任した被告と内山徳三郎の両人が連帶して右報酬金を支拂う旨約したとの原告主張事実を認めるに足る何等の証拠がないので、右報酬金債務については右両名は平等の割合を以て之が支拂義務を負うものというの外はない。すると被告は原告に対し原告請求の半額すなわち二千七百五十三円四十銭と之に対する本訴状が被告に送達せられた日の翌日であること本件記録に徴し明らかな昭和十八年二月二十六日から支拂済に至るまで民事法定利息に相当する年五分の損害金の支拂義務があるといわねばならない。
仍つて原告の本訴請求は右限度において理由があるから之を認容しその余の部分は失当であるから之を棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條、第九十二條、仮執行の宣言につき同法第百九十六條を各適用し、主文の通り判決する。
(裁判官 乾久治 畑健次 岡部重信)